ボッチ眼鏡の戯言

都内有名私立大学の文学部のボッチ眼鏡が戯言を垂れます。

電車の中でもどした友人www

どうも、こんにちわ、今日も誰も読まないと思ったことを思ったことを書きます。

最後まで読めばタイトル[www]がある理由がわかると思います。

 

 

先日、大学のサークルでバーベキューに行って来た。

当日はとても暑く、行く前から憂鬱であった。

そして何かよくないことが起きる気がしていた。。。。

バーベキューが始まった。

可愛い女の子たちがいたせいなのか、一部の男たちのテンションは上昇に上昇を重ね、お酒のペース、声の大きさが比例して上昇していった。

男たちは狂気狂乱していた。

わたしはこのカオス状態を心の中では軽蔑しながらも表向きは楽しんでるかのようにのんきに談笑しながらお酒を飲んでいた。

これ以上の惨状がこれから待っているとは知らずに。。。。

バーベキューが終わり移動することとなり電車に乗車。

いくつかのグループに分かれ話していると後ろの方から悲鳴のような声がした。

声がした方を向くとタイトルにあるように誰かの胃の中のものが全て電車内の床に散布されていた。

 

散布したのは誰かと思ってうずくまっている奴を見た。

そして瞬時に納得した。

なぜなら、そいつは先輩と女の子の前で調子に乗って、得意げに一気飲みを披露していた奴だった。

だが、わたしは納得すると同時に重大なミスも犯していた。

その場を見て無意識にニヤけてしまっていたのだ。

調子にのっていた奴が弱々しい姿がトリガーとなって。

「何、ニヤけてるの?笑う状況?」

隣にいた女の子がそう問いかけてきた。

わたしは、その言葉で無意識に自分がニヤけていることを悟った。

そして、「バレた」と思った。

わたしは今までに約15人程度に「お前はサイコパスだ」と言われたことがあり、自分はサイコパスであると思っている(自分ではわからないが)。なので、そういったサイコパスの部分が露出しないように気をつけて生きてきたのである。

だが、わたしは電車の中でもどすという非日常に出くわし感情をコントロールができず、ニヤけ、女の子にサイコパスという烙印を押されてしまった。

一瞬の気の緩みによって。

わたしとって痛手だったのはその女の子はわたしと趣味が合い友達としてはかなり親密な方であった(彼女とかではなく)。

だが、それ以降、会話がぎこちなくなってしまった。

やはり皆サイコパスのような人間は嫌いなのであろう。

思えば、わたしの気の合う友人もサイコパスの匂いを醸し出している気がする。

そのような友人を見つけるのは困難なことである。

実際に気の合う友人は片手で収まる。

サイコパスと呼ばれる人たちはわたしのように本来の自我を隠し生活し、希薄な人間関係を築いていると思う。

そして、わたしは上辺だけの希薄な人間関係を築き惰性で交流を続けていくそれがわたしの日常であるのだと身に染みてわかったそんな出来事であった。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。稚拙な文章でしたがそこはご容赦ください。 もし読んでいただけたら感想よろしくお願いします。

 

 

 

 

趣味趣向は神のもの

今回が初めてブログとなり、見ている人がいるとも思えませんが、とりあえず今日、思ったことを書きます。

「この本は読んだ方がいいですよ」と講義中に教授が言い放った。

そして私を除いたほとんどの人が一斉に下向きメモをした。

私はこの言葉が嫌いである。

私の趣味は読書であるが、人に本を勧められるのも、勧めるもの好きではない。

私が思う読書とは本を読みたい人が読みたい本を好きなように読む行為であると思う。

「本は出会い方を間違えると名作が駄作になりかねない」 『働かないふたり』 吉田覚 から引用

この言葉は私が今まで生きてきた中で心の琴線に触れた言葉である。

なので、私は本を勧めるもの勧められるもの好きではない。

だが、小説などを勧めてくるのはまだ許容範囲である。

しかし、古典作品を勧めてくるような輩が大嫌いである。

私は、古典作品を読んでる人間には3種類いると思う。

1種類目は好きで読んでる人、2種類目はカッコつけて読んでる人、3種類目は必要に迫られて読んでる人、の3種類にだいたい分類できると思う。

そして3種類目の人が大多数だと思う。

必要とはレポートやテストなどのためである。

教授が講義中に古典作品を読めとあれこれ作品名を得意げに言って勧めてくる。

レポートにもテストにも関係ないのにその場では言わずレポートやテストに関係があるようなニュアンスを醸しながら言ってくる。

読むことを半ば強制してくる。

「文学部なら読んでおくべきだよ」という言葉を使って。

読書という行為は決して強制されてはならないと私は思う。

また読書に関係して私が嫌う人間はもう1タイプいる。

それは携帯小説ライトノベルを古典作品と比較して鼻で笑い無価値だと切り捨てるような人間だ。

この手の人間は自分が賢いと勘違いしているようなクソ野郎に多い。

人の好みを否定するのは神のみに許された行為だと思う。(もちろん人の道は外れるような好みはダメだが)

個々の好みが認められることが本当の自由であると思う。

 

最後に、稚拙な文章でありましたが読んでくれてありがとうございました。また以上に書いたことは個人の感想なので肩の力を抜いてオタクがなんか言っていると思って流してください。できれば感想をよろしくお願いします。批判でもなんでも。