ボッチ眼鏡の戯言

都内有名私立大学の文学部のボッチ眼鏡が戯言を垂れます。

趣味趣向は神のもの

今回が初めてブログとなり、見ている人がいるとも思えませんが、とりあえず今日、思ったことを書きます。

「この本は読んだ方がいいですよ」と講義中に教授が言い放った。

そして私を除いたほとんどの人が一斉に下向きメモをした。

私はこの言葉が嫌いである。

私の趣味は読書であるが、人に本を勧められるのも、勧めるもの好きではない。

私が思う読書とは本を読みたい人が読みたい本を好きなように読む行為であると思う。

「本は出会い方を間違えると名作が駄作になりかねない」 『働かないふたり』 吉田覚 から引用

この言葉は私が今まで生きてきた中で心の琴線に触れた言葉である。

なので、私は本を勧めるもの勧められるもの好きではない。

だが、小説などを勧めてくるのはまだ許容範囲である。

しかし、古典作品を勧めてくるような輩が大嫌いである。

私は、古典作品を読んでる人間には3種類いると思う。

1種類目は好きで読んでる人、2種類目はカッコつけて読んでる人、3種類目は必要に迫られて読んでる人、の3種類にだいたい分類できると思う。

そして3種類目の人が大多数だと思う。

必要とはレポートやテストなどのためである。

教授が講義中に古典作品を読めとあれこれ作品名を得意げに言って勧めてくる。

レポートにもテストにも関係ないのにその場では言わずレポートやテストに関係があるようなニュアンスを醸しながら言ってくる。

読むことを半ば強制してくる。

「文学部なら読んでおくべきだよ」という言葉を使って。

読書という行為は決して強制されてはならないと私は思う。

また読書に関係して私が嫌う人間はもう1タイプいる。

それは携帯小説ライトノベルを古典作品と比較して鼻で笑い無価値だと切り捨てるような人間だ。

この手の人間は自分が賢いと勘違いしているようなクソ野郎に多い。

人の好みを否定するのは神のみに許された行為だと思う。(もちろん人の道は外れるような好みはダメだが)

個々の好みが認められることが本当の自由であると思う。

 

最後に、稚拙な文章でありましたが読んでくれてありがとうございました。また以上に書いたことは個人の感想なので肩の力を抜いてオタクがなんか言っていると思って流してください。できれば感想をよろしくお願いします。批判でもなんでも。